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迷い子4
 郷宿
NEWS

動き出した人の輪
 
 横山同朋町の煙草切職人兼吉の家。
 家にもどりついてみると、嫁の帰りが遅いから、きっと迷子を連れ来ると、姑早々の夕餉仕度。
 「あらま、おっかさんすみませんね」
 「屹度迷い子連れて来ると思ってね。そしたらお腹すかしてるだろうから、すぐに食べさせられるようにってね。子どもは何処だい」
 「ほら、お入りな。遠慮しないでいいんだよ。遠慮が要るのは大人だけってね、ほら足洗ってあげるからそこの上がりに腰掛けな」
 胸前で、手に手を包みもじもじと、下目使いに入り来る娘。横に人の気配を感じ、見ぬままにする小さな会釈。姑、流しにてその仕草を看取り、一瞬のうちに心引かれる。ぼろ着の内に素直な心根を読み取る。
 すぐさまに、菜切る包丁手放して、横の桶取り水を汲み、あたしがやるよと足を取る。姑の渡した手ぬぐいで、横から顔を拭き出す嫁。幼さの残る肌の温もりに、なんとも福が来たような。その光景を背に受けて、サクリ、サクリの軽やかさ、そ知らぬ態で居てみても、心のうちでは亭主とて、一緒にぬぐうその気持ち。背中越しに
 「おい、お隣さんから着る物借りて来い。後で洗って煙草つけてけえしてやるからとな」
 「あいよっ」
─あたしゃ、あんたのそういうところに惚れたんだよ─
 そら出た、またもそう云いたげな恋女房。
 まあそれからというものは、普段は子の居ない静まり返った家のことであるから、お隣さんが仰天するほどの賑やかさ。親戚でも来たのではないかと気を使い、もらい物のおすそ分けと来てみれば、なんとも可愛い女の子が居るではないか、事の次第を聞いたれば、頼みに行くこともなく持ち来る着物。
 「娘の着古しだけど、よければこれお使いなさって」
ということで、てんやわんやの大騒ぎ。やがては娘の心も開きはじめ、夕餉のころには、問いかければ二言三言話し出す様子。
 父の名は「熊吉」、母の名は「うた」、「春吉」という弟がおり、そして娘の名は「やす」という。
 母と弟と猿若町へ来たらしいが、そこで迷い子となったらしい。何処から来たかは大きな川があるところ、というだけで在所の名は本人にも分らぬことで、それを大川か、いやいや利根か玉川かと問うたところで西も東も分らぬ子どものこと、たった一つ覚えていたのは立川という地名。どうやらそこに居たことがあるらしい。
 「それが分りゃ何とかなる。お前隣町の馬喰町の郷宿、そうさなぁ、立川と云やぁ柴崎村だ。その衆は秩父屋へ出入りしているから、そこへ持ち掛けてみろや」
 「あいよっ。おっかさん、もう暗くなってきたから、あたしが提灯下げて行って参りますよ」
 「そうかい、すまないねぇ」
という声に送り出され、娘を連れて馬喰町三丁目の秩父屋へ。
 そこへは、提灯など必要はない距離。通りへ出て、北へ三つ目の角を右に曲がれば、そこがもう郷宿の在る馬喰町三丁目だ。娘が怖かろうとのやさしさで、提灯に火を点してきたのである。
 「ごめんなさいよ、ご主人にご相談したいことがありましてね」
 取次ぎの者が主人の清助を呼びにいく。
 磨き上げた廊下を渡り来る主人の姿。木綿茶縦縞袷に博多帯。
 「おう、兼吉の嫁さんか、どうしなさった、お子を連れて」
 なにやらもう察しているのであろう。
 「まあまあ、立ち話もなんだ、上がりなされ」
 いつに無く座敷へ通される。
 神棚の下に長火鉢。主人それに手を置き 
 「煙草屋の、さっき耳にへえったんだが、何でも迷い子とか、その子がそうかえ」
 「まあまあ御耳がはようござんすね、ホホホ」
 「なあに、お前さんほどじゃねえよっ」
 煙草屋の女房の傍らにちょこんと座る娘を見やり。
 「なぁ、さぞ切なかった事だろうな、嬢ちゃん。したがこれからぁ按ずることはねぇ、なんたってここは郷宿だからな」
 郷宿とは公事宿とも云われ、領主からの呼び出し、またそれへの訴願や報告のために出向いた村人が利用する宿のことであるから、城下の郡代屋敷などある便のよい所に集まっている。江戸では両国橋近くの小伝馬町三丁目やそれに接する馬喰町一丁目から三丁目に所在し、明和七年(1770)には八十九軒もの宿があったという。
 その歴史は古い。
 開幕当初は陣屋支配といって、旗本は江戸周域に割り当てられた領地に陣屋を築き、家族もそこにあって直接に領地の支配に当たっていた。
 その後江戸の地割が進むに従い、屋敷地を江戸へ移し、在所に手代を残して支配するようになる。それも十七世紀に入るころよりは、幕府の直轄地である天領へ支配替えされるところが多くなるから、村方三役と云われる名主、組頭、百代ら村役人は、代官所からの、呼び出しだの、それ訴願だのと、何かにつけて江戸へ出府することとなる。
 こうしたわけで、その間に逗留する宿が必要になったわけだが、あっちこっちと宿替えしていたのでは幕府にとっても村方にとっても都合が悪い。ところが現実は、回国、巡礼など大人数で旅する道者や寺社の参詣人なども江戸へ入り込むから、茶屋や船宿、うどん屋なども旅人を泊めはじめることとなり、ごちゃごちゃのあり様。
 元からの旅籠が客を取られるのをいぶかって動き出し、享保の改革ごろ(十八世紀前半)には幕府もそれに応じて小伝馬町三丁目と馬喰町一丁目から三丁目の旅籠に特権を与え、他は旅人の宿泊を禁じる。
 ところが、そんなことで江戸入りする旅人をさばき切れるはずもなく、やがては乞われるままに百姓家までもが人を泊めはじめ、百姓宿と称するようになる始末。まあ、雨後の竹の子のあり様ということ。
 元からの旅籠はそれに脅かされるから、ふたたび奉行所へ訴える。そこで大岡裁きとなり、以後道者や参詣人の宿泊は小伝馬町と馬喰町の旅籠で、その余と代官所や領主などの御用向きでの宿泊人は、百姓宿であっても宿泊を認めるという事になった。
 このとき旅籠は、それまで公用として奉行所から下げ渡されていた飯料や雑費の慣例を返上し、四ヶ町で負担することを嘆願しているから、稼ぎ頭の道者や参詣人宿泊の特権、是が非でも欲しかったに違いない。
 そうしたことで、百姓宿も公事で出向く村人を泊めるようになったのであるが、そうなると幕府との関係で組織立った機構が必要となるのも自明の理。百姓宿が二組をなし、先の旅籠が一組と、都合三組の組織が誕生した。
 その当初は奉行所や代官所の御用は小伝馬町と馬喰町からなる旅籠のみで請け負っていたようだが、天保の御改革以後はそれぞれに惣代を立て、順番で御用をつとめるようになっていた。
 村人が公事でこうした宿を利用する、いつの世でもそうだが、そうしたことにはいろいろな書式や手続きが要る。郷宿は、村人へ訴訟の仕方を手引きしたり、代筆したり、また奉行所からの村々への呼び出しがあれば、惣代を通してこれら郷宿へ伝えられ、そこから飛脚等で村々へ知らされる。
 そこには組合村という隣村からなる連帯が設けられているから、その代表となる村から、さらに廻状という方法で村継して個々の村々へ通知が行き渡ることとなる。
 村々の名主は、その回り来る通知を「御用留」という公用の帳面に書き写し、原本を他村へ回し継ぐわけだ。
 というわけで、この郷宿秩父屋には壮大な情報網が築かれていることになる。先に主人が云った
 「按ずることはねぇ、なんたってここは郷宿だからな」
その意味がここにある。
 煙草屋の女房は、事の次第を克明に話しだす。それも世話好きであるから己の感情むき出しのままに。話すほどに涙を浮かべるあり様。
 「どうぞ、旦那さんのお力でこの子をおっかさんへ逢わせてあげて下さいな」
 こう目の前で泣かれては、今日のうちに一つも体を動かさねばと
 「おい、誰ぞいるか」
 「へい」
 泊り客と廊下で立ち話をしていた若い衆が、すぐさま膝折り、顔を出す。
 「今日の御客にゃ立川あたりの人は居らなかったな…」
 「へい。立川といやぁ…。あっ思い出しやした。日野の安右衛門さん傳法院前の東仲町あたりで見かけやしたんで、夜は津久井屋へ入ってるんじゃねぇですか」
 「おう、おめぇ顔見知りなら、津久井屋連れてって、安右衛門さんとやらへ逢わして来い。少しはこの子が想い出すこともあるか知れねぇ」
 先のこの若衆の立ち話、その迷い子のことであったから呑み込みが早い。
 「お任せなすって」
 すぐさま津久井屋へと歩を向ける。
 表通りを北へ進み、三つ目の角を左へ曲がり込むと、ほどなく津久井屋の前へ出る。玄関先の暖簾をくぐり。
 「ごめんなさいよ、日野の安右衛門さんお泊りですかえ。居なさったらちょっとお話が…」
 夕餉の膳出しが忙しいのであろうか、無愛想な女中が応ずるが言葉掛けも無きままに、まるで怒ってでもいるように、ぷいっと身をひるがえしたなりに奥へ消える。
 しばらくして安右衛門が現れる。歳はとっているが、若い時分に力石自慢であったというだけあり、めくり上げた袖口からのぞく二の腕が、いかにも太い。
 「湯上りなもので、こんな格好で失礼しますよ。昼間、傳法院でお逢いしましたな、して何の御用で」
 奥に控える二人を見やりながら、いぶかしげな表情。事の次第を聞いて
 「おうおう、それは可哀想なことで。わしには心当たりはなけれど、立川と云えば柴崎村の郷名。その柴崎と云えば三右衛門さんだから、早速飛脚を手配して知らせてみますよ」
 その三右衛門とは、前年の弘化四年(1847)に年番名主(年毎に交代して名主を務める職)を辞し、次郎兵衛という名を息子へ譲り、当人は三右衛門と改名して隠居した柴崎村の元名主。日野宿寄場組合 ─文政十年(1827)に幕府が関東地域で制定した村連合体の一つ─ の大惣代名主も勤めていたから、多摩で知らぬ人はいないほどの人物。
 外は闇ではあるけれど、情けをつなぐ人の輪に、娘の心へ火が点る。






迷い子5 ─生い立ち─


娘の過去

 日野の安右衛門は、部屋へもどると早速に矢立を取り出した。
 墨で固まった筆先、それを口元で噛みほぐしながら頭の中で文意を整えると、左手で巻紙をくり継いで柴崎村の三右衛門へ向けた書状を書きはじめる。
 「江戸浅草にて迷ひ子に相成候娘有……」
 その書状、翌日の夕刻には飛脚を介して柴崎村へと届けられた。
 名主屋敷の隠居部屋。そこに折紙の書状をくり継ぎながら眼を通す三右衛門の姿がある。
 「ふむふむ、明日は向きで江戸へ出るから好都合じゃ、津久井屋とな…」
 三右衛門は書状を手にして母屋へ入る。名主を継いだ息子の次郎兵衛は土間で下男と何やら野良仕事など打ち合わせている様子。
 「次郎兵衛や、先だって江戸に居る日野の安右衛門さんから飛脚が来てな」
 「ああ、おらほが取り次ぎましたが」
 「そうじゃったか、してな、何でも浅草で迷い子があったそうで立川を口にしておるらしいが、今年十三になる娘、心当たりはねえか」
 次郎兵衛思案の様子、だが言葉が出てこない。そのうち、傍らの下男があることを想い出したらしく
 「番太…」
 その言葉に二人ともすぐに反応した。
 「おお、そういえば去年何処ぞへ姿を消した番太か、あれにゃ二、三年前まで女房と二人の子があったな」
 下男が得意げに話しに割り込んでくる。
 「一人は男の子で、いま一人は女の子、いまなら十三、四にはなっていますかねぇ」
 「そりゃ平九郎が詳しいか知れんな」
 というわけで下男が呼びに出て、やがて平九郎を連れてもどって来た。
 その平九郎とは一年ごとの年番名主を勤め合うが、この人三右衛門の実の子で、幼きころ村内の代の絶えた名家へ養子として出した次男であるから、この場に集う三人はすべて親子の関係にあり気心が知れている。そうしたなかで、平九郎が話しはじめる。
 「迷い子ですか。やはり村内の者ではないでしょうから、あの番太の娘と思えてきますな」
 〈番太〉とは〈番太郎〉のこと。代表者からなる町や村役人の指揮を受け、火の番やら夜番など、異変が起きたときにそれを知らせる番人のこと。多くは下層階級の者たちが受けもっていた。
 親子の話題に上がった〈番太〉、それは天保の飢饉で土地を手放し、流浪の民となった家族のことであった。
 平九郎の記憶によると、数年前から寺の片隅に小屋掛けして住みはじめたらしいが、いつしか寺の掃き掃除などする姿を村人が目にするから、追い出すこともせずにそのままにしていた。素性は悪くない。そこで哀れに思い村方で〈番太〉として召抱え、風列厳しきおりなどの火の番やら、作物を夜陰に紛れて盗む悪しき輩の見張り番を勤めさせていたという。
 流れ者であるだけに、もとより、その家族の構成すら詳しく知る者はいない。だぶんその娘ではなかろうかと云うほどのことで、先ずは江戸で娘に会ってから、と云うことで話を終える。
 翌日、三右衛門は早立ちして甲州街道を東にとり、江戸へ向った。
 この年六十三歳になる隠居の身、江戸では寺社詣も考えてはいたが、どうもその娘のことが気掛かりで、途中の宿場に同じ年頃の娘を見かければ、迷い子がどんなに切なかろうと孫のごとくに思い入れ、脚の運びにも力がこもる。
 橋本町四丁目の津久井屋へ着いたのは、日暮れにはまだ少し間のある時刻。
 「ごめんなさいよ、柴崎の三右衛門と申しますが、日野の安右衛門さんは御逗留で」
 その声を聞きつけ、足早に廊下を伝い来る安右衛門。
 「おうおう、お早いお着きで。待っとりましたよ」
 手ぬぐいで体の誇りを払い、足のすすぎもそこそこに部屋へ案内される三右衛門。それを待ちかねたように、一同座したままにお辞儀する。煙草切の女房に代わり、今日はその義母が娘を連れ来ている。
 「まあまあ旦那様、遠い所をわざわざのお出向き、まことに有難うございます」
 「この娘さんですかな」
 うつむいている娘をしげしげと見つめるが、やはり心当たりはな
 「この娘さんですかな」
 うつむいている娘をしげしげと見つめるが、やはり心当たりはない。昨夜の息子たちとの話以上には何も分らぬ。なれど三右衛門、何か手掛かりはなきやと、尋ねたり、また顔を見たりをくり返すが、ぼやっと寺に居たころの娘の姿を想い出せてはみても、背丈も違えば、みすぼらしい身なりとていまは綺麗なべべ(着物)着て違う。娘盛りを迎える前の、見ぬ間の三、四年と云えば、たとえわが子であってもすぐには分らぬものだから、無理からぬこと。
 娘が口にする
 「おとっちゃんは熊吉、おっかちゃんはうた、お爺ちゃんは孫左衛門、弟は春吉」
という名を聞いても熊吉しか心当たりは無いし、また仮にあったとしても、その親父の熊吉さえも昨年柴崎村を退去しているから足取りをたどれない。
 一同、思案にくれる。
 煙草切兼吉の母、さぞ心細いであろうと、娘が膝上に置く両の手へそっと手を添え勇気付ける。しかし、浅黒くはあるが、娘の目鼻立ちのよい顔は、益々下へと向き、閉じた目尻にはわずかな涙さえ浮かびはじめている。それを見取り兼吉の母が小声で
 「おっかさんが見つかるまで家に居ていいんだからね。兼吉もお前が煙草の葉巻きを手伝ってくれるから喜んでいてね、いつまでも居てくれたらなぁって云ってくれてるんだから。何も心配は要らないよ」
 その言葉の切れぬ前に三右衛門が
 「お嬢ちゃん、村に帰れば誰ぞ知っている人もいるだろうから、尋ねて分かり次第知らせるからね、気を落すんじゃないよ。おっかさんも屹度探しているはずだから、逢えぬことはないからね」
 一同、事態に進展あれば、互いに連絡を取り合うことを約し、その場を離れる。
 さて、その娘のここへいたる経緯は以下のようなものであったらしい。
 
 天保の飢饉で田畑を手放し、土地持ちの本百姓から小作へと転がり、それでも一生懸命働くものの二度三度の不作に見舞われ、ついには身を持ち崩して流浪の民となった熊吉一家。
 たどり着いたのは立川郷の柴崎村。そこで村抱えの〈番太〉の任を与えられて一息付くが、どうやら熊吉、飢饉を乗り越え畑仕事に精出す村人を見るにつけ気持ちが修まらなかったようで、わずかではあるが〈番太〉の役銭を手にしては何処ぞで酒を買い込み、飲む始末。女房に意見されてからは、気が咎めるのか銭の持ち出しは無くなったものの、よそで借財をこさえていた。
 何処ぞの振舞い酒であろうか、酔って帰ってきたある夜のこと、近くの宿場の口入屋で娘を売る算段を取り付けてきたらしい。その夜のことである、女房のうたが、二人の子どもを連れて姿を消したのは。欠落人に身を投じても、それだけは許せぬ母の心根。 
 いびきかく、亭主に悟られぬよう、寝ている春吉を抱きかかえ、離れた下手の茂みに入り込み、コナラの木の根株にそっと置く。身をひるがえし立ち戻り、残る娘をかかえんとしたその刹那、娘の尻にあてる手の平へ何かがねじ込まれた。その先見れば、寝返り打ってむこう向く、義父孫左衛門の引く手が見えた。娘を抱き、小屋から出たなり向きかえり、深く礼するうた。
 後は振り返らぬ覚悟。
 根株へもどり娘を強く揺り起こし、春吉背負い眠気の覚めやらぬ やす の手を引いて、闇の中へ。
 その後、何処をどう来たかは分らぬが、ここは玉川の見える堤の上。
 目を覚ました春吉、傍らに寄り添う やす、そして泣く事もできずに途方にくれる母。その手に握り締められているのは義父孫左衛門が手渡してくれた重たき平布。
 それは守り袋ではない。旅人が何かの折にとしたためる、二枚の布間に穴開きの一文銭を敷き並べ、糸で縫い付けた銭の布。義父は知っていたのだ。逃れることを。すべてを察した上で何も云わず、後生大事と肌身離さず懐へ忍ばせてきたその布を、子どもらの命の糧と手渡してくれたのである。寝返りを打ちながら胸元へ引き入れたやせ細った手、その記憶が切なく胸を突き上げる。
 そこへ土手越に旅人の声が聞こえてくる。
 「今日当たりは川崎の大師様もえれぇ混みようだんべな」
 どうやら厄除けに向う参詣人の二人連れ。その言葉に、この道が川崎大師へつづく道であることを知る母。
 この身なりでは江戸へは行けぬ。なれど川崎宿あたりのはずれなりとも出れば、旅籠の下働きでもあるか知れぬと、その後を遠目に付いて行くことを思い立つ。大師様にすがる思いもあって… 
 旅人が休んでは、こちらも休み、また歩き出せば、こちらも歩き。そのうちには向こうもちょいちょい後ろを見はじめるが、まさか追いはぎには見えぬから、怪訝そうに後ろを見やることはあっても歩みは止めぬ。
 やがて玉川を渡り丸子村へ出る。
 そこまで来たところで春吉が泣き出す。
 幼き足でよう頑張ったが、もう一歩も歩けぬという様子。娘ともども、足は痛かろう、腹もすいておろう。旅人はどんどん遠のき、姿を見失う。陽は随分と傾いてきている。
 土手下へ出てみると、河原乞食の小屋が幾つが立ち並んでいるのが見える。その近くに一夜を過ごすにはよさそうな草薮があるから、そこへ枯れ草など集めてきては敷き並べ、座り込む。随分と疲れていたのであろう、二人の子を包み込むようにして寝入る母…
 突然、女の顔が現れる。
 驚く母。
 「何だねこんなところで。可哀想に子連れかい。こっち来な。取って食おうなんて云わないよ。さぁおいでな」
 ムシロ掛けした小屋の前で
 「ほら、薩摩焼いたからお食べな。腹すいてんだろ、遠慮なんか要らないよ」
 子どもらの手にぶっきら棒に薩摩を手渡す女。
 「女の荷押しなんかあんまり居ないから、みんな優しくしてくれるのさ。銭くれて、荷の芋も駄賃だってね、気前のいいこと」
 なんという威勢のよい女であろうか。歳のころは二十三、四。中原街道の坂下で、荷車を待ち構え、坂上へ押し上げるのを手伝っては駄賃稼ぎしているらしい。
 一時して、子どもたちを小屋の中で寝かせてくれた。言葉遣いは荒いが、根はいたって優しい。
 玉川の瀬音、月の輝きを闇に散らせたせせらぎ。穏やかに流れる時の中で、小屋前の草むらにしゃがみ込む女が話し出す。
 「あんたも大変な思いしてきたんだろうねぇ、だけどあたしゃ聞かないよ。ここらにゃそうした人がたくさん居るからね。そんな話いくら聞いたって涙も出やしないからさ。だから面白いことだけ聴くのさ」
 うたの気持ちが少しだけ軽くなる。
 親子ほども歳の離れた女。社会の狭間で生きる天涯孤独の強さが、川面に映し出されている。
 うた は二人の子を連れ、ここでかなりの時を過ごした。だが、その集団が浅草猿若町に働き口を見出し、動くという。それは八月の暑き日のことであった。






迷い子6 ─待ちわびる心─


娘と母、それぞれの情景
 
 ワタリ猫の意識を読み取る野良猫ダリ、その記憶情景を判読するための〈たどりの作用〉に、コンバージョンの機能が働いているらしい。
 ここから先、ダリの意識は元の郷宿での娘 やす の意識をもどり起こしている。
 やす の心は一向に晴れなかった。自分の運命が何かにあやつられてでもいるように、悲しみの淵を巡り、暗黒の世界へ引き込まれようとしているように思えてならなかった。それは幼きころ母の腕に抱かれて見た、真っ暗な井戸底の情景として意識に焼き付きはじめていた。
 津久井屋からもどった夜。やす が寝入った狭き居間で、深いため息の中にいる兼吉と女房、そして母。
 「どうしてやったらいいだろうねぇ。あの分じゃ柴崎村の旦那様も難渋なさっていなさるだろうよ」
という母の言葉を受け、女房
 「いっそ、うちの子にして昔のこと忘れさせてあげようかねえ」
 「馬鹿云うんじゃねぇ、あの子がいくら可愛くたって、お前がお袋になれるわけでなし、時がかかろうとも逢わせてやるのがご縁を授かったものの勤めだ。このご縁はな、屹度子の無い俺たちによ、観音様が一時の情けを授けてくれたってぇことよ。だからな、いつになろうとも逢えるようにな、あの子が立ち行くようにしてやらなきゃならねぇ。可愛がって情が深まりゃ、あの子にとって二親となる。いざ本当のおっかさんに逢えたとき、また分かれる親ができちまう。いいか、お前が親になっちゃなんねえぞ。どこまでも母親は一人にしておけ、情を深めちゃなんねぇ」
 「お前さん」
 母の前ではあるが、涙を浮かべる女房。
 「そうだよう、おっかさんに逢えたとき、気持ちが残らずに行けるのがあの子のためだよ。だからさ、みんな親戚のおばちゃんとおじちゃんの気持ちになれば、観音さんのお計らいにもかなうと云うことかねぇ」
 浅草の、聖観世音菩薩の導きで、子無き家に子が来たと、サクリ、サクリの煙草切、これも精出す仕事のたま物と、一同観音様に合掌。
 一夜明けた朝。朝餉の膳を囲みながら女房
 「あたしゃねぇ、いいこと想い出したんだよ。やす ちゃんね、参れば猫だって探してくれると云う有り難いお宮があるんだよ、三光稲荷ってね。そこ今日連れてってあげるからね」
 昨夜の気持ちが打ち沈む床の中で、女房どの、あるとき関西商人から聴いた話を想い出したらしい。それは夜空に輝く星の話。江戸では「三光」と呼ぶ横に連なる三ツ星、それを関西では「親担い星」と称することを聞いたことがあるのだが、そこから長谷川町にある三光稲荷の霊験の噂が呼び起こされてきたのだ。
 「あたしも知ってるよ、何でも逃げ出した人を足止めする霊験もあるんだってねぇ」
 「おう、おっかさんも行ってきな。そうすりゃ三光のそれぞに願いが届こうってもんだ。お前、いいとこ想い出したな。ついでに菓子でも買って来い。俺も食いてぇからな」
 「お前さん」
─あたしゃあんたのそうゆうとこに惚れたのさ、甘いの嫌いな煙草吸いのくせにさ…─
 ほらほら、また出た。というわけで、そのうちには朝餉の片付けも早々に、三人して油揚げの包みを持って出かけていった。
 両国橋南の横山同朋町から南へ向い、二つ横道を過ぎた所で堀へ出る。そこに掛かる千鳥橋を渡り二つ目の角が大門通り、そこを左へ曲がり、三つ目の角を今度は右へ。一つ道を越えた先の右側に目指す三光稲荷の鳥居が見える。
 娘は十三、少々大きくはあるが、まるで年端も行かぬ子と連れ立つように、両脇から手を差し伸べて歩く、嫁と姑。心が浮き立たぬはずは無い。見知りの人に行き交えば
 「あらあらおめずらしい」
という声に
 「お天気がつづくといいんですがねぇ、今夜は雨かしら」
などと、ほころび顔でかみ合わぬ挨拶。いつもなら、そのままに立ち止まり、長の噂話となるところ、今日はそうはならじとよそよそしき振る舞い。相手もそれを察してか、聞きたきわけを封じ込め
 「お三人で楽しそう、ホホホ」
と、歩を進める大店の女房。
 鳥居をくぐり、祠の前で包みを広げ、供物の油揚を献じる女房。ほころび顔が一転し、厳しき顔にて柏手打って、必死に祈る母探し。
 随分と長い祈りを終えた後、ふたたびたわむ笑顔にて
 「さあさこれで大丈夫、きっと御狐様が探し当ててくれるからね」
 うなづく娘。
 だが、どうしたことか、それからはぷっつりと母探しの動きが止まった。
 柴崎村からの書状も届かず、郷宿からの話も無い。見知った人には声を掛けてあるから吉報を待っているが、迷い子が噂に上っても、子を探し求める母となると、まるきり何も聞こえてこない。
 娘は、おかしな話などすれば、少しは笑うようにもなったが、切ないのは夕方だ。姿が見えないと思えば、その姿、屹度通りの角の板壁にある。そこで後ろ手して、通りの奥の人波を見ている。
 いつかはおっかさんが見止めてくれるだろう、またこちらからも見つけようとする仕草。女房は胸が締め付けられ、こうした時、声を掛けることさえできぬ。
 家へもどれば玄関の、その少し前から駆け出して、寂しさ払って入り来て
 「おばちゃん水汲んでこようか」
などとやさしき言葉を掛けて来る。女房、夕餉の仕度の包丁の、音を絶ってはいけないと、コトコトコトと涙目で、
 「そうかい、有り難うよ」
と言葉を返す。
 こんな案配だから、いくら時が過ぎようとも、煙草切の女房どの、その娘の母になりきることはできない。
 さてもさても、それから七ヶ月が過ぎた嘉永二年(1849)四月の夜半のこと。娘の寝入ったのを見計らい、女房が
 「お前さん。おっかさん。あらたまって相談があるんだよ。実はね、すぐと云うわけじゃないんだがね、両国に幼馴染が料理屋やっててね、そこでこの子を使って貰えないかと頼んでみたのさ。そしたらね、ちょいちょい配達の途中でも出逢うからそれとなく気性みてたらしくってね、あの子ならいいよって云ってくれたさ。働くといっても、あの女将なら心配はいらないし、近くだから様子も見にいけるし、薮入りにはここへ帰ってくることもできる。料理屋で人の出入りもあるから、いつかはおっかさんにも逢えなくはないと…」
 「そうかい、お前もいいとこ見つけてきたね」
 兼吉の母も賛同している様子。
 「だけどね、人別送りを差し出さなきゃならないんだよ」
 正式に働くからには、現代で云うところの〈住民票〉のような、身元を明かす〈人別送り〉が必要となる。
 「そりゃよう、郷宿行って相談し、柴崎村から送ってもらわにゃならんだろうな」
 というわけで女房、翌日郷宿秩父屋へ出向く。
 ところがそこに、折りよく柴崎村の今年の年番名主平九郎が御用向きで逗留していた。実父の三右衛門は昨年娘を見ているが、平九郎は父の持ち帰った話だけということもあり
 「すまぬが、煙草切の女房どの、その娘、一目会わせてはくれぬか」
 すっ飛んで帰ったなりに亭主の兼吉には目もくれず、娘を連れ出す女房。亭主は亭主で、何かあったなと思いつつもサクリ、サクリ。
 まるで人さらいの様な勢いで、娘の手を引き郷秩父屋へ駆け込む女房どの。
 「はい、この子でございます」
 平九郎の胸のうちには、それが〈番太〉の子であるという想いが固まっていた。それは実父三右衛門が村へ話をもたらした昨年の八月から、それを気にとめては村人へ聴いてみても、やはり〈番太〉の子という以外に何ら手掛かりがなかったのである。
 〈人別送り〉と云っても、その〈番太〉は欠落人。娘をそれへ決め付けてしまえば、前にいる伏目がちなその子が、もし一人で生きていくとなれば取り返しの付かない苦労を背負わせることになる。
 「お嬢ちゃん、ここには金魚がいるそうだからそれ見ておいでな。そのあんちゃんが案内してくれるから」
 村から同行した若い者にそう告げ、さりげなく娘をその場からはずす平九郎。その思案の末に出てきた言葉、次のようなものであった。
 「女房どの、すまぬが〈人別送り〉を出すことをいまここで約すことはできぬ。先年三右衛門様の方からも伝え聴いていることと思うが、〈番太〉の子かも知れぬ。いまそれを決め付けては当人が一人難渋することになる。まだ立川郷あたりの黒鍬(農耕の日雇人)か髪結いなどの借家人の子ということも考えられる。村へ帰って今一度調べてみるから、それまでは…」
 「はあ、ようく分かりました。実はあの子の身が立つようにと、ここなら安心という幼馴染の料理屋での働き口を世話しようと思うあまり、それならばちゃんと人別送りしてもらってと思ったものですから、なにせ立川郷には居たと聴いておりましたもので…」
 「帰りましたなら、早速に近くの村へも尋ねてみますから、それまで女房どのの申し出、預かり置くことと致したい」
 その後、人別送り無きままに両国の料理屋へ住み込みの働きに出た娘。母のことは忘れぬが、逢うためには一生懸命働かねばと心に決めて、三光の霊験信じて勢を出す。

 さてもさても、野良猫ダリの意識が、ワタリ猫の別な記憶を追いはじめた。それは、浅草猿若町あたりで娘と離れ離れとなった春吉を連れた母 うた の足跡。
 うた は、娘のことを気に掛けていた。なれども人波をぬって先を行く、案内の若衆を見失ってはと気が気ではなかった。ちょいちょい右を見ては左を見てをとくり返してはいたが、わずかに遅れ出した娘を気遣い、後ろを確認せねばと思った矢先に掛けられた若衆の
 「おい、なにやってんでぇ、早く来い」
という声で歩を早めたのがいけなかった。その後はぷっつりと娘の姿が確認できなくなった。前へ来てはしないか、後ろに居はしないかと、きょろり、またきょろりとするが見当たらない。あの子のことだからきっとすぐに追いついてくると思ってはみても、その気の荒そうな若衆を命の綱と頼るが故に、踵を返すことができない。
 角を曲がるにつけ、なおさらに娘が心配になるが、人ごみの中から
「おっかさん」
などと聞こえてくるから、おうおうようやく追いついたかと一安心。ところが直に姿が見えぬから、そのうちには益々不安が襲いくる。
 間近に二度ほど曲がり込んだところで、家並みの様子が一変し、田が広がった。
「えっこんなところに田が」
うた は仰天した。
 江戸の、それもこれほどにぎわう町の裏手に、田畑が入り混じる青々とした農地が広がっているのであるから驚くのも無理は無い。
 天保の御改革で日本橋などにあった芝居小屋がこの浅草の猿若町へ移されたが、それは御城の近くに見世物小屋があっては奢侈(ぜいたく)禁止令を旨とする御改革にもさわる事とて、お城から離れたこの地へ移されたのであるから、それも道理。
 「ごめんなすって、元締さんにお目通りを」
 「おう、来なすったか」
 後ろを見やる うた 、なれど娘の姿が見えない。不安の的中に心が波を打つ。
 「ああっ、あの時の声は やす に似た他人の娘の声」
 胸内でつぶやいて見ても、もう取り返しはつかない。その声が間違っていたとするなら、かなり先から見失っていたことになる。しかしこうなっては、娘を探しに出ることもできない。意を決し
 「あの、来る途中娘とはぐれてたようで、ちょっとの間探しに…」
 その うた へ向って元締が
 「なんでぇ二人も子を連れてんのか。しょんねぇな。おお若い衆、お前さんは連れて来たんだからその子の顔見知ってんだろ。すまねぇがちょっと探してきてくれねぇか。こっちは今から仕事へ連れて行くからからよ、頼まい」
 その法被姿の若衆
 「へい、わかりやした」
 しかしその後姿、急ぐでもなく渋々の態。もとより娘の姿はちらりと見ただけで、顔立ちまで見てはいない。そうしたことだから、店へもどるついでの人探しを決め込む。
 一方の母親、どうかよろしくお願いしますと、若衆へ悲愴な思いの深々のお辞儀。
 その後、元締が下働きの爺さんを呼び寄せ
 「おう、後は任せたぜ」
 その元締、何も忙しくなどありはせぬ。
 爺さんの後に付く うた と春吉と他の者たち。案内に立つ爺さんは小柄、片足が不自由とみえて、右へ左へ大きく体を揺すりながら前を行くが、破れ笊など転がっていれば、片足でひょいと器用に片足飛びして先へ進んでいく。
 路地裏を突き抜けたところに広がる田。その畔横に付け渡された板を踏み越えていくと、幾ばくかの平地があり、そこにムシロ掛けの小屋が立ち並ぶ。その奥の小屋をとうざの住まいに割り当てられる。
 「おめぇさんたちゃ、ここだがよ。誰も取りゃしねえから手荷物ここ置きな」
 その後仕事場へ案内される。
 芝居小屋の外へ出された、恐ろしいほどのごみの山。それを北方を流れる山谷堀へ出して舟に積み替え、今戸橋を越えて大川から海へ出す。
 「おう、新入り連れて来たで、面倒見てやってくんな」
 娘の行方が気がかり、なれど持ち場を離れることはできない。その後も夜中の肥桶運びと、小屋仕舞いからの仕事が明け方までつづく。
 芝居小屋の一番太鼓が鳴り響くころ日をまたいだ一日の仕事を終えたが、その疲れた体に鞭打ち、春吉背負って娘を探し回る母。朝靄ついて、芝居茶屋へ向うお大尽を乗せた駕籠、また晴着姿の娘。それには目もくれず、路地から路地を探し回る母。
 背で寝入る春吉下ろし、寺の境内の片隅で木の根もとの幹に背を添わせて休む母。
 「あの子のことだから…、あの子のことだから…」
 何度くり返したことであろう。
 「きっと何処かのやさしき人が」
という思いが、痛む体を忘れさす。
 一日、二日…一ヶ月。時は瞬く間に過ぎた。下沼辺の河原で会った女もそれを聞きつけ、探し回ってくれている。だが、見つけ出せない。ぷっつりと姿を消したまま。
 やがて八ヶ月が過ぎた翌年の閏四月。それは郷宿秩父屋で煙草切の女房が柴崎村の名主平九郎と会い、人別送りを依頼した翌月のことであった。
 下沼辺から来た衆が、小銭を溜め、一旦帰ることとなった。四月になると新たな仕事の話も飛び交っていたのである。うた もその中にあった。仕事をよく働いたからと元締が、二、三日は小屋を使っていいとのことで、多くの者は人ごみに紛れての寺社めぐり。
 その間、うた と下沼辺の河原で会った女、それに付き従う優しき者たちが、一斉に探索の手を広げた。その一人が何処かで確かな話を仕入れてきた。
 「姐さん、ずいぶんと前のことらしいけど、柴崎村から麦粉運んで来た男が、村の三右衛門とかいうお人が浅草で迷い子になった娘子のおっかさん探してると云ってたって」
 「あんた、それ何処で聞いて来たんだよ」
 「粉屋の丁稚…」
 その吉報、すぐに うた の元へ届けられた。思わず泣き崩れる うた。
 「ほら、泣いてる場合じゃないよ、粉屋行くよ。丁稚がいなくなったら大変だよ」
 急ぎ駆けつける うた と女。粉屋の暖簾払いのけ、ドドッと入れば仰天の、使用人どもにらみ付け、何が起きたと騒ぎ出す。
 「すまないね、脅かしちまって。怪しい者じゃないんだよ。柴崎村で迷い子のおっかさん探してるって聴いてね」
 「姐さん、あの丁稚さんだよ」
 指差す方の丁稚へ、その場の一同の視線が向けられる。ひるんで後ずさりする丁稚。
 周りはだんだんと意味を解し、番頭の一人が機転をきかし
 「そこじゃなんだから、こっちへどうぞ」
 その話、番頭も知っていた。だからことの詳細は番頭が話し出し、店は何もなかったように静まり返る。
 「ほう、あなたがおっかさんでしたか」
 そこへ、何の騒ぎかと主人がやって来る。
 「なんとまあ、三右衛門さんが探しておられたお方かね。ようございましたねぇ」
 一度引っ込んだ主人、ふたたび姿を見せ、鼻に指さす春吉に
 「ほれ、いいものあげよう」
 菓子の包みを手渡すが、母に隠れて背に顔隠す。当てが外れた粉屋の主人、横の女に手渡して、そこから渡せの手振りする。包みを開けて見てみれば、綺麗な色の粉の菓子、女がつまんで顔前出せば、さらりと受け取り口の中、嫌われたのは主人とて、普段小言を云うからと、使用人ども、くすっ、くすり。
 さぞ大きな声で笑いたかったであろう。普段はけちんぼの主人だが、柴崎村の三右衛門さんの尋ね人とて、気を使っての御振舞い。こんな姿を使用人ども見たことは無かったから、腹の中で大笑い。
 さて、いろいろと聴いてみたれば、間違いは無き事。店に深々と礼を述べ、暖簾をくぐって外へ出た女たち。
 「まだ陽が上がったばかりだよ、急げば今日中に柴崎へ行けるよ。そこで会えるさ屹度。明日にもどってくればあの小屋に居るし。明後日なら、そのまま玉川下り歩いて下沼辺へ来ればいいさ、待ってるからさ」
 うた は、もう一言も云えぬほどに胸が締め付けられている。唇を真一文字に噛み締めて、こぼす涙で礼をいい、何度も振り返っては頭を下げて遠ざかる。その親子の姿が小路へ消える。
 「あんた、でかしたね」
 「いえね、今日の朝一番で観音様にお参りしたからね。屹度そのご利益さ」
 さて、その言葉の影で、三光稲荷の御狐様も、どうやら霊験を現しはじめていたらしい。


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