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縄文式土器の文様 写真集  (1)
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 この土器文様写真集は、本編である『掘り出された聖文Ⅰ~Ⅳ』の姉妹編として制作したものである。
 縄文時代の土器は、かつて偉大なる芸術家岡本太郎氏の精神世界へ焼き付けられたように、現代に生きるわれわれを魅了するほどに不可思議で、しかも強いメッセージを秘めている。しかし、武蔵野台地を流れる小さな河川の一画で、縄文時代中期、4,500年前から4,000年前に至る500年間に作りつづけられたこれら土器群は、個々の意匠の内に、それらを生みだした意識を化石のように凝固させ、われわれにたやすく理解できる精神世界ではない。
 土器は、粘土という自由に表現できる素材から作り出されている。そのことから考えれば変化は自在であるはずだが、これらの土器には現代の芸術家が個別にテーマをもち、表現するような多様性は生み出されていない。土器文様のそれぞれには、時期的に統一された様式の範疇と変遷がみられ、それだけに文様の要素と構成にリズミカルな動きが与えられている。
 これら清瀬という小地域の発掘を通して理解されてきたのは、勝坂式から加曽利Ε式期に、どれ一つとして工業生産されるような規格品が存在しないらしいということである。そのことは、われわれが思う以上に個体間の識別が重視されていたことを推測させ、父母や祖父母の付けてくれた名前のように、個に与えられた強いメッセージ性の秘められていることが考えられてくる。
 土器というこれら容器は、遙か遠き時代にあっては神の寄りつくもの、また獲物の霊を祝い込めてほめたたえることで良い状況を導き出そうとする意識が働いている。
 われわれが土器にあらわされた文様の世界へ入り込もうとすれば、そうした意識を精神の奥で高揚させなければならないが、その門戸は現代社会ではことのほか狭められている。しかし岡本太郎氏が縄文土器の文様世界へ入り込んだように、われわれもまた芸術家に高められた、その心の底に沈み込む無意識の領域を抱き留める感性にふれることにより、文様にあらわされた意味を理解していくことはできるはずである。
 『掘り出された聖文』の各研究過程で、実物の質感がどれほど意識を集中させ、持続を引き出していたかは語るまでもない。本書は、実物の質感を重視し、多くの人々と土器文様にあらわされた意識を共有するために企画した書である。したがって、学問的な解説は『掘り出された聖文』へ譲り、ここでは本書を手にした方々の自由な感性で土器文様の世界を散策していただきたい。

 凡例

● 写真図版における個々の番号は、本書のための通し番号ではなく、各遺跡から出土した土器を集合させるための個体識別番号である。
● 掲載した土器は、東京都清瀬市野塩区域の以下の遺跡から出土したものである。

野塩外山遺跡    (1994年調査) 『野塩外山遺跡』  1995発行 

野塩前原遺跡0次  (1979年調査) 『野塩前原』    1982発行

野塩前原遺跡  (1999~2000年調査) 『野塩前原遺跡群』 2003発行

野塩前原東遺跡一次 (2000年調査) 『野塩前原遺跡群』 2003発行

野塩前原東遺跡二次 (2000年調査) 『野塩前原遺跡群』 2003発行

野塩前原東遺跡三次 (2001年調査) 『野塩前原遺跡群』 2003発行


● 巻末の土器実測図版の204個体は、上記遺跡の復元実測可能な土器のほぼ全てで、写真図版は状態の悪いものを除いて掲載している。
● 掲載順位は『掘り出された聖文 Ⅳ』の論考から判読された結果に基づき、8~10頁の基本系統図に沿って配列している。なお、心像系、概念系1・2という系統名の意味は本書では触れていない。詳しくは『掘り出された聖文 Ⅳ』「第九章 文様に現れた神話世界」の〈文様解義〉に掲載している。
● 各個体写真は、文様変化の単純な資料は見通しで、また変化のあるものは展開写真を添えている。
● 写真のほとんどはデジタルカメラで撮影しており、展開写真は2000年に野塩前原遺跡の整理段階で編み出したコンピューターの画像処理法を用いて制作したものである。
詳しくは『掘り出された聖文 Ⅲ』〈土器の写真実測〉参照
 
土器出土遺跡について

 本書掲載の土器は、野塩外山遺跡、野塩前原遺跡、野塩前原東遺跡という近接する3遺跡から出土した資料である。
 これらの遺跡は、右頁写真「遺跡位置」右手(西方)を流れる空堀川沿いに形成された縄文時代中期の集落跡で、野塩外山遺跡と野塩前原遺跡は勝坂式後半期から加曽利Ε式前半期、野塩前原東遺跡がそれに継続する加曽利Ε式後半期の遺跡である。
 これらのうち、野塩外山遺跡では建て替えをともなう10基の住居跡が、また野塩前原遺跡では2箇所の調査で7基の住居跡とともに野外炉と思われる集石跡等が確認され、単一な集落跡の広がりであることが知られる。
 土器は、住居跡にともなうものとしては下部を打ち欠き炉縁として設置されたもののほか、某かの目的で床に浅く埋め込まれたものが見られるのみで、大半の資料は住居廃絶後の窪みへ運び込まれ、廃棄された状態で検出されている。 こうした2遺跡に比べ野塩前原東遺跡の様相は特異で、遺体の頭部に甕を被せ、あるいは土器に直接えい児体や骨を埋葬したことを想定させる土坑など、墓坑としての性格をもつ複数の土坑群が検出され、墓域の形成されていたことが知られ、しかもそれらの間に住居跡が確認されている。
 したがって、野塩前原東遺跡は墓域をともなう集落跡ということになるのだが、個々の住居跡は野塩外山遺跡や野塩前原遺跡の住居跡に比べると竪穴部の掘込みが浅く、柱穴から推定される柱材の太さも細く、いずれも簡易な住居構造であったことが指摘される。こうした状況の他、住居跡の炉縁として設置されていた土器に、墓坑にともなう伏甕を掘り出して再使用した形跡が認められ、また廃絶した住居跡の縁へ伏甕をともなう土坑墓を重ね造ることもおこなわれている。
 これらのあり方から、野塩前原東遺跡にかんしては祭祀色を強めた集落であることが判明し、出土した土器がそのような状況の下に検出されていることを記しておく。なお、参考として墓坑にともなわれて検出されている土器の個体番号を、以下に示す。

     伏せた状態で埋設……151・156~159・(161)・172・176・179・180
     正位の状態で埋設……165・166・178 
遺跡概観
 
野塩外山遺跡  縄文時代中期(勝坂Ⅱ~加曽利EⅡ式期)  集落跡…住居跡・落とし穴(近代)    
10・20・31・38(4号住居)      80(5a号住居)
野塩前原遺跡0次  縄文時代中期(勝坂Ⅱ~加曽利EⅡ式期)  集落跡…住居跡

     
1号住居              48・50(1号住居)
野塩前原遺跡 縄文時代中期(勝坂Ⅱ~加曽利EⅡ式期) 集落跡…住居跡・土坑・集石・落とし穴・地下室(むろ)(近代)


     33・145(3号住居)
野塩前原東遺跡1次~3次
 
野塩前原東遺跡全体図
野塩前原東遺跡1次     縄文時代中期(加曽利EⅢ~Ⅳ式期)  墓域…墓坑・土坑・集石・ピット
    
                                                                159(16号土坑)
野塩前原東遺跡二次    縄文時代中期(加曽利EⅢ~Ⅳ式期) 墓域…墓坑・土坑・ピット・落とし穴(近代)
    
                                                                158(1号土坑)
野塩前原東遺跡三次  縄文時代中期(加曽利EⅢ~Ⅳ式期) 集落跡・墓域…住居跡・墓坑・土坑・集石・ピット

      
                                       202(1号住居)      165・166(28号土坑) 
 
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